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東京地方裁判所 平成3年(ワ)9707号 判決 1996年9月20日

原告

雅叙園観光株式会社

右代表者代表取締役

河野利貞

右訴訟代理人弁護士

村上守

明尾寛

桝田光

被告

信用組合大阪弘容

右代表者代表理事

吉川彦治

右訴訟代理人弁護士

浅岡建三

山下良策

瀧洋二郎

主文

一  被告は、原告に対し、別紙第一物件目録記載の各不動産について東京法務局目黒出張所平成三年五月九日受付第九五七七号根抵当権設定登記の抹消登記手続をせよ。

二  被告は、原告に対し、別紙第二物件目録記載の各不動産について静岡地方法務局三島出張所平成三年五月一七日受付第一一〇〇四号根抵当権設定登記の抹消登記手続をせよ。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、別紙第一及び第二物件目録記載の各不動産(以下「本件各不動産」という。)を所有している。

2  別紙第一物件目録記載の各不動産について、それぞれ次の登記が存在する。

東京法務局目黒出張所平成三年五月九日受付第九五七七号根抵当権設定登記

原因 平成三年一月九日設定

極度額 一二〇億円

債権の範囲 信用組合取引、手形債権、小切手債権

債務者 株式会社協和綜合開発研究所

根抵当権者 大阪府民信用組合

3  別紙第二物件目録記載の各不動産について、それぞれ次の登記が存在する。

静岡地方法務局三島出張所平成三年五月一七日受付第一一〇〇四号根抵当権設定登記

原因 平成三年一月九日設定

極度額 一二〇億円

債権の範囲 信用組合取引、手形債権、小切手債権

債務者 株式会社協和綜合開発研究所

根抵当権者 大阪府民信用組合

4  よって、原告は、被告に対し、所有権に基づき、本件各不動産について右各登記(以下「本件各登記」という。)の抹消登記手続を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因事実はすべて認める。

三  抗弁

1  大阪府民信用組合(被告と合併する前の信用組合。以下「大阪府民」という。)と原告とは、平成三年一月九日、本件各不動産について、共同担保として、債務者を株式会社協和綜合開発研究所(以下「協和」という。)、設定者を原告、根抵当権者を大阪府民とし、極度額五五〇億円とする根抵当権設定契約(以下「本件根抵当権設定契約」という。)を締結した。

2  大阪府民は、右根抵当権設定契約に基づき、本件各不動産について極度額を一二〇億円とする本件各登記の設定登記手続をした。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実はいずれも否認する。

五  再抗弁及び原告の主張

1  本件各登記がされた経緯

(一) 原告は、昭和二三年六月に設立された株式会社で、その株式は東京証券取引所第一部に上場している。原告は、東京都目黒区で雅叙園観光ホテル、静岡県三島市で三島雅叙園観光ホテル、兵庫県神戸市で神戸ニューポートホテル等を経営していた。

原告は、日本ドリーム観光株式会社(以下「ドリーム観光」という。)と共に、Aによって創設されたが、昭和五九年一月に同人が死亡したため、同人の妻Bと、Aの番頭的存在であったCとの間で、右二社の経営権に関する紛争が生じた。

(二) Cは、大阪の仕手集団コスモポリタンと組んで、原告及びドリーム観光の株式の買い占めをはかった。コスモポリタンの会長のDは、元山口組系暴力団の組長であり、東海興業株やタクマ株等の株式の買い占めを行っていた。

(三) Cは、昭和六一年一一月、ドリーム観光にコスモポリタン向けに二〇〇億円の債務保証や二一〇億円の融資をさせた。Dは、右資金で、原告の発行済株式の三四パーセントを取得し、原告の経営権を掌握した。

Dは、原告の経営権を取得し、昭和六二年五月に原告の代表取締役に就任したが、自己の資金繰りのために原告の手形を乱発し、原告の資産を担保として使うなどして、アイチ、丸益産業、新日建設(Eが経営。)、佐川急便、新千里ビル株式会社などから資金を調達し、タクマ株、東海興業株ほかの仕手戦や地上げ等に使っていた。

(四) 当時大阪府民の代表理事であったFは、大阪府民から自己の経営する新千里ビル株式会社に資金を融資させ、昭和六二年三月から九月ころまでの間、右資金をもって、Dに対し、約一五七億円の貸付をしていた。右融資の担保は、原告の株式及び神戸ニューポートホテルの土地建物であった。

また、協和は、昭和六二年四月から七月ころまでの間、D(コスモポリタングループの新和観光開発株式会社)に対し、約二七〇億円を貸し付けていた。右貸付の連帯保証人は原告となっていた。

(五) 昭和六二年一〇月、いわゆる「ブラックマンデー」が起こり、世界的な株価の大暴落が起こった。これにより、コスモポリタンは大打撃を受け、資金繰りが急速に悪化した。

Dは、同年一二月に原告の代表取締役を辞任したが、その後もEの協力を得て原告の実権を握り続け、昭和六三年に入っても乱発した原告の手形を利用して仕手戦等の資金を作り続けていた。これらDが乱発した原告会社の手形は総額七〇〇億円に達していた。

(六) Dは、タクマの仕手戦を行い、同社の乗取りを企てていたが、これに失敗した。その後、コスモポリタングループの企業も次々に倒産し、Dは、昭和六三年八月一二日に失踪した。

Dの失踪後、原告の実権はEに移った。Eは、昭和六三年九月ころから平成元年一月ころまでの間、大阪府民から約一四七億円の融資を受け、さらに原告の保有するドリーム観光の株式七〇〇万株を担保に入れてアイチから融資を受け、Dが乱発した原告の簿外手形の処理をしていた。

(七) 協和を経営していたGは、Dの失踪により回収不能となった協和の新和観光開発株式会社に対する前記貸金の回収のため、平成元年一月七日、連帯保証人である原告に対し、前記貸金を含む約二八四億円の支払を請求した。

(八) これを知ったFは、このまま放置すれば原告が倒産し、大阪府民が原告の手形処理資金としてEに融資した約一四七億円の回収が不可能となるほか、Fが経営する新千里ビルグループの保有する原告の株式が無価値となることをおそれ、Eと打ち合わせのうえ、平成元年一月中旬、大阪府吹田市所在の「千里石亭」(Fが経営する料亭)にGを呼びだし、右三者で会合を持った。

右合会において、Fは、自分は公的金融機関(大阪府民)の理事長だから、原告の経営者として表に出ることはできないが、自分が東証一部上場企業(原告)の実権を握るために、大阪府民からGに対し原告の乱発手形の処理資金を融資するので、自分の身代わりとしてGに原告の経営者になってほしい旨申入れた。

このころ、大阪府民の相談役であったHが、Fの指示により原告の簿外債務の調査をしていたが、これにより判明した簿外債務は二六八億円であった。

(九) さらに、Fは、平成元年一月下旬、大阪府民の本店において、Gに対し、「大阪府民から直接原告に融資することは法律上不可能なので、協和に貸し出すことにする。大阪府民は大阪府の指導監督を受けている金融機関なのでまるっきり無担保というわけにはいかないが、大阪府民が原告の経営権を得るための融資だから、協和が形だけの担保をととのえてくれればよい。」と話し、大阪府民から協和に実質上無担保で融資する旨申入れた。

これに対し、Gは、Fの提案に従えば、自分がDに貸し付けて回収不能となっている前記約二七〇億円を原告の簿外債務の一部として回収できるし、すべての資金は大阪府民が無担保で協和に貸し付けてくれるので自分で資金を作る必要はないと考え、右申し入れを承諾した。

(一〇) このころ、大阪府民の理事会において、原告会社の債務処理のため、協和に対し、三〇〇億円ないし三五〇億円の資金を貸し出すことが承認されている。

大阪府民が右融資を決定したのは、大阪府民が原告の経営権を掌握し、原告の倒産を食い止めることによって、それまでに大阪府民がEを通じて融資した資金が貸し倒れとなることを回避し、新千里ビルが大量に保有する原告の株式が無価値となることを防ぐと共に、将来的には、大阪府民の支配する企業グループに原告を加えて、東証一部上場企業である原告の信用を利用してゴルフ場経営等の不動産事業を展開して大阪府民を中核とする大きな企業グループに発展させていこうとする構想を実現するためであった。

(一一) 大阪府民内部においても、右と同じころ、Fは、Hに対し、原告の経営権を握るため、大阪府民から協和に対し実質的には無担保で貸付をする旨の説明をし、Hが協和と大阪府民間の連絡係を担当するよう指示した。また、Fは、大阪府民の審査部長であったIに対しても同様の説明をして、協和に対する貸出審査手続を円滑に処理するよう指示した。

(一二) 協和は、前記大阪府民と協和との実質的無担保融資の取決めを前提として、平成元年四月二八日、原告に対し、「当社は貴社振出コスモポリタン株式会社関係の一連の約束手形についてはその全ての支払義務を引き受けており、当社において決済することをここに約し、本書を差入れます。」と記載した念書を差入れ、Dがコスモポリタンの資金繰りのために乱発した原告の簿外手形は、協和の負担において処理する旨の契約が成立した。

そして、Gは、自分の大番頭的存在であったJを原告に送り込み、同年五月二五日、同人が原告の代表取締役に就任した。

(一三) 大阪府民から協和へは、平成元年二月七日ころから同年七月二六日ころまでの間に合計三一回にわたり、合計約二七〇億円が融資されたほか、ドリーム観光株や原告株の購入資金やケービーエス京都ゴルフ場開発資金などのためさらに融資が行われた。その結果、平成二年一二月当時の融資残高は、八三四億七八〇〇万円になっていた。

(一四) 大阪府民から協和への貸出は、実質的には無担保であったが、大阪府民に対する大阪府の定期検査に備えて形式上はあたかも担保提供がなされているかのごとく仮装されていた。

このうち、伊藤萬株式会社(以下「イトマン」という。)は、平成二年三月五日、大阪府民に対し、協和が大阪府民に対して負担する五五〇億円の借入債務につき保証予約する旨の念書を差し入れたが、これは、イトマンの取締役会の決議を経ていないもので、大阪府の検査対策のため、当時イトマンの取締役に就任していたGが大阪府民に交付して担保提供の形式をととのえたにすぎず、平成二年一一月一四日、Gがイトマン絵画取引疑惑発覚のため同社を退任すると、右念書は大阪府民からイトマンに返還されている。

(一五) 平成二年一二月、F、G、及びEは、大阪ヒルトンホテルで会合を持ち、原告の経営について話し合った。そして、「三者がこれまでに原告に注ぎ込んだ資金を回収するため、三者が関与しているゴルフ場等のプロジェクトを提供しあい、投下資本の回収に協力しあう。」旨の合意確認書が作成された。

また、その後、平成三年四月には新千里ビル、すなわちF自身が原告の経営にあたり、G及びEはそれ以後は原告に関与しない旨の覚書が取り交わされた。

(一六) 大阪府は、平成二年一一月三〇日から平成三年一月二八日まで、大阪府民に対し、定例業務検査を行った。

右検査にあたり、前記のとおり、その直前である平成二年一一月一四日に、イトマンの五五〇億円の保証予約に関する念書が返還されていることなどから、大阪府民では、協和に対する融資の形式的担保が不足する事態に陥った。

2  再抗弁その一(通謀虚偽表示)

(一) そこで、平成二年一二月はじめころ、Fは、GおよびJに対し、当時、協和から大阪府民に対し担保として差し入れられていたゴルフクラブの預託金証書等では大阪府民の協和に対する多額の融資に対する担保としては不十分で、大阪府の検査で担保不足の融資であることが発覚すれば、大阪府民の経営者であるFの重大な責任問題となる、このような事態を回避するために被告組合が十分な担保を取っている体裁を整えるため、原告所有のすべての不動産に対し、協和の大阪府民に対する債務を担保するための根抵当権を設定した旨の契約書を作成し、この契約書及び右不動産の登記済権利証、原告の委任状、印鑑証明、資格証明を大阪府民に預けてほしい、預かった書類は検査終了後にそのまま原告に返還する、右書類を使用して根抵当権設定登記はしないので、是非協力してほしいとの要請をした。

(二) G及びJは、右要請に応え、同月一〇日、右書類をそろえて大阪府民を訪れて交付し、大阪府民側が用意した根抵当権設定契約書に記名押印をした(以下「本件根抵当権設定契約書」という。)。

(三) 本件根抵当権設定契約書作成の時点においては、右契約書には極度額や物件の表示等はなく、極度額についての話し合いもされていなかった。

(四) その後の平成三年三月四日、大阪府民の審査部長Iは、原告の総務部次長Kに対し、電話で、預かった原告の印鑑証明及び資格証明の日付が三か月以上経過しているので、新しいものを送ってほしい旨を要請し、Kはこれに応じて新しい印鑑証明書等を大阪府民に郵送した。

JやKら原告担当者は、FやIらから大阪府の検査は平成三年四月中まで続くと聞かされており、右印鑑証明等の差し替えは、大阪府の検査対策との認識のもとにされたものである。

(五) ところが、大阪府民は、右検査対策の担保差し入れのための仮装として預かった書類を原告に無断で使用し、平成三年五月九日及び同月一七日、本件各登記をしたものである。

(六) よって、原告と大阪府民との本件根抵当権設定契約は、F、G及びJが通謀して、実際には根抵当権を設定する意思はないにもかかわらず本件根抵当権設定契約書を作成したものであり、無効である。

3  再抗弁その二(取締役会決議の不存在及び被告の悪意)

(一) Jは平成元年五月二五日から平成三年五月三一日まで原告の代表取締役であった。

また、Jは昭和六〇年以前から協和の取締役で、平成二年一〇月一日代表取締役に就任し、平成三年五月二日付けで退任の登記がされるまで協和の代表取締役の地位にあった(但し、登記上代表取締役退任の日付は平成二年一一月一四日とされている。)。

Gは平成二年五月二四日から平成三年二月二八日まで原告の代表取締役であった。

また、Gは昭和六〇年以前から平成三年七月三日に退任するまで協和の代表取締役であった。

(二) 右のとおり本件根抵当権設定契約当時、J及びGは、原告の代表取締役であり、かつ、債務者である協和の代表取締役であったのであるから、本件根抵当権設定契約締結には、商法二六五条一項により取締役会の承認が必要であったのに、原告においては、必要な取締役会が開催されておらず、取締役会決議が存在しない。

(三) また、大阪府民の審査部長であったIは、平成三年一月九日、原告を訪れ、原告総務部次長であったKに対し、大阪府民で起案した原告の取締役会議事録の原稿を示し、「この議事録は、協和が大阪府民に対し負担する債務の担保として原告が五五〇億円を極度額とする根抵当権を設定することを承認する旨の取締役会議事録だが、これは大阪府の検査を受けるために備え付けておくため形式的に作成するものだ、」と説明し、「今日中に大阪に持ち帰りたいのでこのとおり作ってほしい。」と要求し、原告は、これに応えて右原稿どおりの取締役会議事録をワープロで作成し、原告の各取締役の印を押印したものであり、大阪府民は、本件根抵当権設定契約に際し、原告が必要な取締役会決議を得ていないことを知っていたものである。

(四) よって、原告と大阪府民との本件根抵当権設定契約は、原告において必要な取締役会決議を得ておらず、また大阪府民はこのことを知っていたものであるから、無効である。

六  再抗弁に対する認否及び被告の反論

1  原告の主張する本件各登記がされた経緯についての認否

(一) 再抗弁1(一)及び(二)の事実は認める。

(二) 同(三)のうち、新千里ビルがDの資金調達先であったことは否認し、その余の事実は知らない。

(三) 同(四)のうち、大阪府民がDに対し原告の株式及び神戸ニューポートホテルの土地建物を担保として新千里ビルを経由して融資を行ったことは認めるが、貸付額については否認する。

(四) 同(五)のうち、いわゆるブラックマンデーが起こったこと及びこれによりコスモポリタンが大打撃を受けて資金繰りが悪化したこと、D及びEが原告の実権を握り続けたことは認めるが、その余の事実は知らない。

(五) 同(六)のうち、Dの失踪後、原告の実権がEに移ったこと、同人が昭和六三年九月から平成元年一月ころまでの間に、大阪府民から融資を受けたことは認めるが、その額については否認し、その余の事実は知らない。

(六) 同(七)の事実は認める。

(七) 同(八)のうち、平成元年一月中旬、Fの経営する大阪府吹田市の「千里石亭」で、F、G及びEの三者が会合を持ったこと、このころ、HがFの指示で原告の簿外債務の調査をし、二六八億円の簿外債務のあることが判明したことは認める。

しかし、この会合は、Gがなぜ原告に対し約二八四億円の支払を請求したのかその真意を確認するのが目的であり、その際、Gは、「雅叙園に対する債権を損金処理するために税務対策上内容証明を出しただけで、二八四億円の支払を求めるつもりはない。」と返答したので、この日はそれ以上話をすることなく、三〇分ほどで会合を終えた。したがって、Fが、自分が東証一部上場企業の実権を握るために、大阪府民からGに対し原告の乱発手形の処理資金を融資するので、自分の身代わりとして原告の経営者になってほしい旨申し入れたことはない。

なお、このとき、EがGにと対しGが雅叙園の経営をしないかと頼んだが、Gは相談する人がいるので考えてみると述べ、確答しなかった。また、GはFに対し「Fさんが雅叙園をやったらどうか。」といったが、Fは「公的機関の理事長だから雅叙園の経営はできない。」とはっきり断っている。

(八) 同(九)の事実は否認する。

(九) 同(一〇)のうち、大阪府民の理事会において、原告の債務処理のため、協和に対し三〇〇億円ないし三五〇億円の資金を大阪府民から貸し出すことが承認されたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(一〇) 同(一一)のうち、Hが具体的な貸出審査手続に際し協和と大阪府民との間の連絡係を一部担当したこと及びIが協和に対する貸出手続を担当したことは認めるが、Fが、両者に一般的に協和の便宜を図るよう指示したことはなく、原告の経営権を握るため実質的には無担保で貸し出す旨の説明をしたことはない。

(一一) 同(一二)のうち、協和が原告に対し念書を差し入れたこと、Jを原告の代表取締役として送り込んだことは認めるが、これらが実質的無担保融資の取決めを前提とするものであることは否認する。右は、協和が原告の経営にあたることが決まったからされたものであり、協和が原告の経営権を握ったことを示すものである。

(一二) 同(一三)の事実は認める。ただし、協和への直接の貸付は五五〇億円であり、その余は手形裏書による債務保証である。

(一三) 同(一四)の事実は否認する。

協和から大阪府民に差し入れられた担保は、いずれも真実担保として提供する意思で差し入れられたものである。

また。イトマンの債務保証予約念書は、Gがイトマンに入社した際、大阪府民を訪れて、Fに対し、「今後協和のプロジェクトはすべてイトマンで資金を出して共同でやっていくことになったので、協和が差し入れていた株券、ゴルフ会員権等の担保を返還してほしい、そのかわりイトマンの債務保証を差し入れるから。」と要請してきたので、大阪府民としても上場企業の保証が得られるならその方が確実であろうと考えて、それまで協和が差し入れていた担保を返還し、代わりにイトマンの保証予約念書を取得したものであって、形式だけのものではない。

右保証予約念書は、イトマン内部では取締役会の決議は不要とされており、当時イトマンの財務担当副社長であったLの決裁だけで発行できるものであり、大阪府民に交付された保証予約念書も、イトマンの代表取締役であったMの指示に従ってLがその権限に基づいて発行した有効な念書であった。また、大阪府民は、右念書を徴求するにあたり、念のため、イトマンの社内禀議書をつけてもらっており、正当な権限に基づいて発行された念書であることを確認している。

大阪府民が平成二年一一月一四日に右保証予約念書をイトマンに返還したことは認める。これは、GとL副社長が、大阪府民を訪れて、Fに対し、「公認会計士による監査が入るので、監査期間中だけでよいから一時的に返還してくれないか。保証予約念書は大阪府民に入ってるとCPの発行基準を満たさなくなってまずい。監査が済んだら必ず再度保証予約念書を入れるから。」といって返還を要請されたためであり、大阪府民は、監査終了後再度予約念書を差し入れるとの約束のうえで、監査期間中に限って一時的に返還したものである。大阪府民は、この保証予約念書を返還した時点では、Gがイトマンを退社したことを聞かされてはいなかった。そして、保証予約念書を再び差し入れてもらうまでのつなぎ担保として協和から関ゴルフ場の会員権証書や瑞浪ゴルフ場の会員権証書を差し入れてもらっている。

しかるに、イトマンは、監査が終了しても保証予約念書を差し入れず、Fが何度も差入れを要求したが、イトマンはこれを拒否している。

(一四) 同(一五)のうち、平成二年一二月に、F、G及びEが合意確認書を作成したことは認める。Fは大阪府民の貸付金の回収をはかるためにこの合意確認書を作成したものである。

他方、Fが平成三年四月に覚書を作成したことは否認する。新千里ビルの記名押印は偽造されたものである。

(一五) 同(一六)のうち、大阪府が大阪府民に対して定例業務検査を行ったことは認めるが、その余の事実は否認する。

2  再抗弁その一について

再抗弁2(一)の事実は否認する。同2(二)の事実のうち、J及びGが、平成二年一二月一〇日に大阪府民本店を訪れて、本件根抵当権設定契約書に原告の記名押印をすると共に、持参した書類を大阪府民に交付したことは認めるが、その余は否認する。同2(三)の事実は否認する。同2(四)の事実のうち、Iが平成三年三月四日にKに対し、原告の資格証明、印鑑証明の期限が切れたので新しいものを送ってほしいと頼んだことは認めるが、Iが大阪府の検査が平成三年四月中まで続くと説明したことは否認する。同2(五)は争う。

本件根抵当権設定契約は、真実根抵当権を設定する意思を持って、締結されたものであり、このときG、J及びFは、極度額を五五〇億円以内とすることを決めているのであって、G及びJは、右極度額について了解している。

なお、大阪府の定例業務検査は、平成二年一一月三〇日を基準日とする検査であるから、基準日後に担保を取っても無意味である。

3  再抗弁その二について

再抗弁3(一)の事実は認める。同3(二)は争う。同3(三)の事実のうち、Iが、平成三年一月九日、原告を訪れ、原告の取締役会議事録を受け取って持ち帰ったことは認めるが、その余は否認する。

Iは一般的なひな形を持参しただけであり、取締役会日時、出席取締役の数など重要な事項は全て空白のひな形を示したもので、これを原告において原告のスタイルに合うように打ち直して議事録を作成したものである。

また、Iは、議事録を受け取るために原告を訪れることは事前に連絡しており、大阪府民としては、当然原告が事前に取締役会決議をしたものと考えていたものである。

4  本件不動産に対し根抵当権設定契約が締結された経緯は次のとおりである。

(一) 大阪府民は、昭和六三年四月一日、豊国信用組合(以下「豊国」という。)と合併した。Fは、このとき、大阪府からEを紹介され、初めてEを知った。

(二) 当時、Eが豊国の経営権を握っており、豊国からEの率いるコスモスグループに対し多額の貸付がなされていたが、十分な担保を取っておらず、同組合はこの不良債権を抱えていて財政的に破綻していた。さらに、合併直前に豊国に数十億円の簿外債務があることが判明するなど、Eの乱脈経営の影響は大きく、豊国と合併した大阪府民の財政も逼迫するようになった。

コスモスグループが提供していた担保物件は、未完成のプロジェクトなどで、そのままでは到底債権回収の引き当てとなるものではなかった。そこで、Fは、Eに協力を求めてこれらを完成させ、付加価値を付けてから債権回収をはかる必要があると判断した。

(三) 昭和六三年九月、Eが原告振出の一五億円の約束手形を持参し、手形割引を依頼してきた。Fは、コスモスグループがつぶれると、豊国から引き継いだコスモスグループに対する貸付金が回収できなくなると考え、Eに資金援助することとし、大阪府民から一五億円の融資を実行させた。

(四) さらに、同年一一月ころ、Fは、Eから原告を担保に資金の融資をしてほしいとの要請を受け、初めてEが原告を経営していること、Dの乱発した手形の処理で資金繰りに苦しんでいることを知った。

そこで、Fは、原告の現場を自ら確認し、Hに原告の財務内容を調査させたところ、二六八億円の簿外債務のあることが判明した。

Fは、Gを訪れて、原告の簿外債務一覧表を見せ、原告の担保価値について意見を求めた。Gは、これに対し、以前野村證券から原告の株式を買わないかと言われ、都庁で再開発の可能性等を調べたことがあると言い、「雅叙園の敷地は約六〇〇〇坪あって、細川家と大蔵省が所有しているが、細川家と大蔵省から敷地を譲り受けて再開発をすれば大きな含みが出る。ホテルやマンション、オフィスビル等を建てて売れば五〇〇億から一〇〇〇億円もの利益が出る。二、三〇〇億円くらいの債務はすぐに吸収できる。」と説明した。

このとき、Gは、既に原告の調査を終了し、ホテルやマンションの計画図面まで既に作成しており、Fにこれを見せ、Gの行っている冠婚葬祭事業と原告をドッキングさせるような話までしており、G自身が原告の経営や再開発に関心を持っていたものである。

Fは、これを聞いて、原告の担保価値は十分あるものと判断し、原告所有の別紙第一物件目録記載の不動産に大阪府民の関連企業である高橋ビルを債権者として極度額八〇億円の根抵当権を設定したうえで、大阪府民から高橋ビルを介してEに対し五〇億円の融資を実行した。

(五) 同年一二月二〇日ころ、Fは、Eから金融業者のアイチのN会長を紹介された。

Nは、Eに対し、既に六〇〇億円以上の貸付をしているので、これ以上は貸せない、原告の経営から手を引いたらどうかと勧めると共に、原告の経営は再開発のプロであるGが適任であると助言した。Eは、これを受け、原告の経営から手を引くことを決めた。

(六) このような状況の下、G(協和)から原告に対し前記五1(七)記載の二八四億円の支払を求める内容証明郵便が届いた。

Fは、これにより初めてGが原告に対し債権を持っていることを知ったが、それまでGからそのような話を聞いたことがなかったので不審に思い、Eと相談のうえ三人で合うことになった。これが前記六1(七)記載の千里石亭での会合である。

(七) 平成元年一月二〇日ころ、FはGに呼ばれて協和の事務所を訪れたが、その際、Gから、「Eと二人で話し合った結果、私が雅叙園をやることになった。ついては資金を援助してほしい。」と頼まれ、今後Gすなわち協和が原告を経営することになったと聞かされた。このように、原告を経営するのはGすなわち協和と決まったものであり、またこの取決めは前記千里石亭での会合以降、EとGの二人で決めたことであって、Fは全く関与していない。

(八) Fは、これを受け、原告が倒産すると原告に多額の債権を持っているEも破綻し、大阪府民が豊国から引き継いだコスモスグループへの貸付金やその後Eに融資した六五億円が回収できなくなると考え、当時判明していた原告の簿外債務が三〇〇億円くらいであったので、三〇〇億円以内で融資することに同意した。

その際、Aは、Gに対して「担保がいりますよ」とはっきり伝え、Gがどのような担保が出せるかをその場で詳しく聞いた。

(九) その後、協和は、EやFから譲り受けるなどして原告の株式を取得し、平成元年二月一日から、原告の経営にあたるようになった。

同年五月二五日、協和の会長であったJが原告の代表取締役に就任し、原告のその他の役員もJの集めた人間をあて、Gすなわち協和は人事面でも経営権を掌握した。

なお、Fは、当時原告の株式を所有しておらず、また原告に人を派遣してはいない。

(一〇) 大阪府民は、同年二月一日から、前記約束どおり三〇〇億円以内の融資を実行した。

ところが、その後原告の簿外債務が七〇〇億円以上もあることが判明した。これに対し、大阪府民は当初の約束どおり三〇〇億円以内しか融資をせず、同年七月末ころ協和への融資を打ち切った。その後協和は、自らアイチや丸益産業などから融資を受け、原告の手形を処理している。

(一一) Gは、同年八月ころからイトマンから多額の融資を受けるようになった。

そして、前記1(一三)のとおり、Gが平成二年二月ころ大阪府民の本店を訪れて、協和のプロジェクトはすべてイトマンから資金が出て共同でやることになったことなどを説明し、当時協和が差し入れていた担保とイトマンの保証予約念書とを差し替えた。

(一二) Gは、平成二年一一月八日にイトマンを退社し、イトマンからの援助を受けられなくなった。協和は、当時三〇〇〇億円以上の負債を抱え、資金繰りに苦しんでいた。

また、原告は、第三者割当増資によりイトマンから出資を受けた一一一億円のうち七五億円を協和に貸し付けて一時的に右出資金を流用していたが、これが返済されないために、大蔵省などから早急に回収するように指導を受けていた。しかし、協和には到底返済する余力はなく、このままでは、平成三年二月末の原告に決算書にこの貸付金を掲載しなければならない事態となっていた。

さらに、原告は、Gに頼まれて三〇億円の約束手形をEに対して振り出していたが、この手形が京都ファイナンスで割り引かれており、平成二年一二月末に取り立てに回っても、原告はとても支払をできる状況になく、このままでは不渡りが必至であった。

(一三) このように状況の中で、GとJは、同年一二月一〇日、突然大阪府民の本店を訪れて、Fに新たな融資を依頼し、その担保として、原告の所有不動産についての権利書など根抵当権設定に必要な一切の書類を持参して交付し、原告の代表取締役であったJが本件根抵当権設定契約書に記名押印した。その際、Jは、Iに対し、何度も「協和を助けてくれ」と懇請していた。

また、前記2のとおり、このとき、G、J及びFの間で、極度額を五五〇億円以内とすることも合意されている。

したがって、右根抵当権設定契約は、原告が協和及び原告に対する資金援助を依頼するために真実担保権を設定するために締結されたもので、大阪府の検査対策というようなものではない。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

第一  請求原因事実については、当事者間に争いがない。

第二  本件各登記に至る経緯について

一  <証拠省略>及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる(一部争いのない事実を含む。)。

1  原告は、ドリーム観光と共に、亡Aによって創立された株式会社であったが、同人の死後、両社の経営権をめぐる紛争が起こり、仕手集団コスモポリタンの代表であったDが介入してくることとなった。

Dは、昭和六二年五月に原告代表取締役に就任して原告の経営権を掌握し、それ以降、原告振出の小切手を乱発したり、原告の資産を担保として使うなどして、同人の手がけていたタクマ、東海興業などの株式の買い占めの資金を調達していた。

Fは、昭和六二年三月ころから、Dに対し、大阪府民から実質的にはFが経営していた新千里ビルに資金を融資させ、新千里ビルがDのコスモポリタングループに融資する方法により、一六〇億ないし一七〇億円の融資を行っていた。また、Gも、このころ、同人の経営する協和からコスモポリタングループ(新和観光開発株式会社)に対して、約二八四億円を融資していた。

Dは、これらの融資にあたって、原告の株式や所有不動産を担保として利用したり、原告を右融資の連帯保証人としたりしていた。

2  昭和六二年一〇月ころ、いわゆる「ブラックマンデー」による株価の大暴落により、コスモポリタングループは大打撃を受け、資金繰りが急速に悪化した。

Dは、その後も同人の資金源の一人であるコスモスグループのEの協力を得て、原告振出しの手形を乱発し、仕手戦を繰り広げた。

しかし、Dは、タクマの仕手戦に失敗し、昭和六三年八月に失踪した。その後、原告の経営権はEに移り、Eが、Dの乱発した原告の手形の回収にあたることとなった。

3  ところで、昭和六三年四月、大阪府民は、豊国と合併したが、その当時の豊国の実質的な経営者はEであった。Fは、この合併の話を機にEと知り合った。

当時、豊国は、Eのコスモスグループに対する不良債権などを抱えて経営危機に陥っていた。Fは、豊国の不良債権を回収するためには、Eの協力が必要であり、また、コスモスグループが倒産したりすると、豊国から引き継いだ債権が回収不能になると考え、右合併後も、大阪府民からコスモスグループに対して追加融資を行っていた。

そして、前述のとおりEが原告の経営権を握り、Dが乱発した手形の処理を行うようになったが、Eは右手形を処理する資金の融資をFに依頼するようになり、大阪府民は原告振出しの手形を割り引くなどの方法でEに対する融資を行い、結局、昭和六三年九月ころから平成元年一月ころまでに百数十億の手形を割り引き、融資を行った。

右融資の担保として、Fは、Eから原告等の株式を受け取った。

Fは、右のとおりEを通じて原告の手形を割り引き、また原告の株式を入手するようになったことから、原告の資産状況を調査するため、昭和六三年一二月ころ、Hを原告に派遣して原告の簿外債務を調査させるとともに、自らも上京して調査を行ったところ、Dが乱発した簿外手形で当時残存しているものは約二六八億円ということであった。

4  また、Fは、コスモポリタングループに対する融資の回収を通じて、昭和六二年一二月ころGと知り合っていたが、3記載のとおり原告の資産状況の調査のために昭和六三年一二月ころ上京した際、協和に立ち寄り、東京の不動産の動きに精通しているというGから原告所有の不動産の価値等について意見を聴取した。そのときFは、Gから、原告が経営している雅叙園観光ホテル(目黒)の敷地は細川家と大蔵省が所有しているが、細川家と大蔵省から敷地を譲り受けて再開発をすれば大きな含みが出る、ホテルやマンション、オフィスビル等を建てれば五〇〇億円から一〇〇〇億円の利益が見込まれるとの意見を聞き、Eに対する債権の回収は可能であるとの心証を得た。

一方、Fとの会談によってFないし大阪府民が原告をめぐって動いていることを知ったGは、前記のとおり、協和がコスモポリタングループ(新和観光開発)に対して有していた約二八四億円の債権について、Dが原告の経営権を握っていた時代に新和観光開発の連帯保証人となっていた原告に対し、平成元年一月七日付け内容証明郵便をもって請求し、右内容証明郵便は同月九日原告に到達した。

5  協和から右請求がなされたことを知ったFは、原告には右請求額を支払う資力がなかったことから、原告の経営や簿外手形の処理等について相談するため、平成元年一月中旬ころGとEをFが経営する料亭「千里石亭」に呼び出し協議したほか、同月下旬ころにも協和において右三者が協議した。

その結果、原告の経営権は、EがGに譲ること、Eは手持ちのプロジェクトを提供してGの手形処理を助けること、簿外手形の処理は協和が行い、その資金として三〇〇億円から三五〇億円程度を大阪府民が融資すること、以上のとおり合意され、一方、Gは雅叙園観光ホテル(目黒)の再開発を目指すこととなった。

6  平成元年四月二八日、協和は、原告に対し、Dが乱発した手形を協和において決済する旨の念書を差し入れた。そして、同年五月二五日、Gと極めて親しい関係にあり、当時協和の会長をしていたJが原告の代表取締役に就任した。Jは同人の古くからの友人を新たに原告の取締役に就任させ、Eが送り込んでいた取締役は退任した。

7  大阪府民は、平成元年二月七日ころから協和に対し、原告振出の簿外手形の決済資金の融資を始め、同年七月二六ころまでに三一回にわたり、約二七〇億円が協和に融資された。

右融資の担保として、平成元年二月ころ、協和と大阪府民との間で、岐阜県関市所在の関ゴルフ場用地に根抵当権を設定するとの契約書が作成されたが、右用地についてはすでに協和の他の債権者に担保として差し入れることとなっており、権利証が右権利者に差し入れられていたことから、実際には登記をすることができず、登記関係書類を司法書士が受け取っているとの虚偽の受理証明書だけが大阪府民に差し入れられたにすぎなかった。また岐阜県瑞浪市所在の瑞浪ゴルフ場用地を担保として差し入れるとの書類も作られたが、右土地について協和は何らの権利も取得しておらず、将来地主から所有権ないし地上権を取得したときに根抵当権設定の手続を行うというものにすぎなかった。さらに、平成元年六、七月ころ、相武カントリークラブの株式や会員権も担保として差し入れられたが、右株式は担保価値が十分ではなく、会員権に至ってはGが代表権もないのに勝手に同カントリークラブの代表取締役の肩書を付して印刷しただけのものであった。その他、東京都中央区茅場町の土地、京都ゴルフ場用地も担保とされたが、右各物件は協和が未取得の土地であった。

このように協和が大阪府民に対して差し入れた担保は実質的な担保価値を有しないものであった。

8  Fは、右のとおり協和から担保を徴求した形式を取りながら前述のとおり協和に対する融資を継続したが、Fが平成元年一月に協和に対する融資を決定した時点で予想していた原告の簿外手形が、予想よりはるかに多額であったことから、同年七月をもって協和に対する融資を打ち切った。

なお、大阪府民から協和に対する融資は、右簿外手形の決済のための資金だけでなく、ドリーム観光株や原告株の購入資金やケービーエス京都ゴルフ場開発資金などのためにも融資が行われた。その結果、平成二年三月ころには、少なくとも五五〇億円に達していた。

一方、Gは、その後も資金繰りの努力を継続して原告振り出しの手形を決済していったが、次第にイトマンのM社長に接近し、平成二年二月にはイトマンに入社した。

そして、イトマンが、資金を出して協和において計画推進しようとしていた関ゴルフクラブ等のプロジェクトを行うことになったことから、大阪府民に対して協和が差し入れていた相武カントリークラブの株式、会員権、関ゴルフクラブの会員権等の担保が、大阪府民から協和に返還され、その代わり、同年三月五日付で、イトマンから大阪府民に対し、協和の債務について元本五五〇億円とこれに対する利息、損害金の範囲でイトマンが保証予約する旨の念書が差し入れられた(四一五億円と一三五億円の二通に分けられている)。

しかし、右保証予約は、イトマンに入社し役員待遇となったGが経営する協和の債務を保証するという不明朗なものである上、巨額の保証でありながらイトマンの取締役会の承認を得ていないものであって、法的効力に多大の疑問の存するものであった。

9  そして、Gがイトマンの絵画取引疑惑などが原因となって、同年一一月八日、イトマンを退社すると、いかなる理由からか、同月一四日ころには、大阪府民は、右のとおりイトマンから差し入れられていた保証予約の念書二通をイトマンに返還してしまった。

その代わり、協和から大阪府民に対して、瑞浪ゴルフクラブの会員権、関ゴルフクラブの会員権や相武カントリークラブのゴルフ場においてミニコースを経営していたエスビー商事の株式等が差し入れられたが、右会員権はいまだ計画段階のゴルフ場にかかるのであって担保価値はなく、エスビー商事の株式にしても評価、換価ともに困難なものであった。

10  Gによるイトマンの退社を受けて、同年一二月七日、F、E、Gが集まり、原告雅叙園の共同経営の精神に立ち戻って、各自が推進中のプロジェクトを提供して損失分を埋め合わせていくことを申し合わせた。

11  ところで、イトマンの保証予約念書を返還してしまったことから、大阪府民の協和に対する融資は明らかに担保不足となり、このままでは大阪府の検査を受けるに当たって都合が悪い状況となった。

一方、原告(J)は、同年一一月ころ、Gの要請で、同年一二月一七日を支払期日とする二〇億円の手形を振り出し、右手形は金融業者である京都ファイナンスが割り引き取得していたが、原告には右手形を決済する資力がなく、また、Gがイトマンに入社した同年二月ころ、原告はイトマンほかに対して一一一億円の第三者割当増資をしたものの、原告はそのうち数十億円を協和に貸し付けてしまい、協和がその弁済に窮していた結果、原告も右貸金の回収が急務となるに至っていた。

12  そこで、同年一二月初旬ころ、協和(G)及び原告(J)は大阪府民に対して新たな融資を申し込み、大阪府民(F)においては、折から大阪府の検査を受けるに当たり、イトマンの保証予約念書の返還により、協和に対して既に有していた五五〇億円に及ぶ債権が担保不足という状況にあったので、この機を利用して、協和に対する右債権について物的担保を確保しているように装うことに協力させようとし、協和(G)の口添えも得て原告(J)に対し、本件各不動産について根抵当権設定契約証書を作成し、登記手続に必要な書類を預けるよう求めた。原告(J)としても、前記の第三者割当増資後の協和に対する貸付金については、大阪府民(F)から協和に一〇〇億円を融資してもらい、そこから回収することを大阪府民(F)に依頼しており、大阪府民(F)を頼りにしていたことから、大阪府の検査の結果大阪府民(F)が苦境に立つようなことになる事態を避けたかったので、右外観の作出に協力することを承諾した。

13  同年一二月一〇日、G及びJは大阪府民本店を訪れ、協和の大阪府民に対する債務について、原告が本件各不動産に根抵当権を設定する旨の契約書(本件根抵当権設定契約書)に記名押印した。Jは、本件各不動産の権利証や原告の実印、印鑑証明書等を持参し、大阪府民の担当者に渡した。

このとき、本件根抵当権設定契約書の日付欄、極度額欄は、空白のままであり、日付欄は、後日14のとおりIが平成三年一月九日に原告の取締役会議事録を受領した際に、同日の日付を記入し、極度額は、後述18のとおり登記手続の直前に記入された。

同月一〇日の段階においては、原告は根抵当権の設定について取締役会の承認を得ていなかった。

その後間もなく、大阪府民から協和に対して三〇億円の融資が実行された。しかし、この融資は、小倉南カントリーゴルフ場の売買代金から返済を受けるものとして実行されたもので、本件根抵当権設定契約とは別のものであり、その担保すべき債権の範囲に含まれるべきものとして融資が行われたわけではなかった。

14  平成三年一月九日、Iは右根抵当権設定についての原告の取締役会の議事録を受け取るために原告を訪れた。右訪問にあたって、Iは右根抵当権設定を承認する旨の取締役会議事録のひな型を持参し、これを原告に交付し、原告担当者は右ひな形に従い原告の取締役会議事録を作成した。

右議事録には、議案として、協和が大阪府民に対して、現在及び将来負担する一切の債務の担保として、原告所有の本件各不動産上に、大阪府民を権利者とする根抵当権極度額五五〇億円を設定する件について、出席取締役全員が異議なく議案を承認可決した。なおJは利害関係があるから決議に参加しなかったと記載されている。

右議事録に出席者として氏名が記載されている取締役は、Jほか六名であったが、そのうち、J、O及びPは、右同日右議事録の作成に立ち会っていたことから、右議事録に自ら押印したが、その他の取締役については、Jの指示によって原告の総務課の職員が保管していた各取締役の印を押捺したものであって、この日には取締役会は開催されなかった(なお、証人Jは平成三年一月九日、同席しなかった取締役に対しては電話連絡したと証言し、同人の刑事公判調書(乙第七号証の三)にも同旨の記載がある。電話による議決権の行使は取締役の協議と意見の交換の場という取締役会の本質上許されないと解されるから、右電話連絡をもって右当日同席していない取締役の承認の議決権行使があったと解することはできないというべきであるが、それは置くとしても、右供述自体どの範囲の取締役に対して電話連絡をしたのか不明確であるし、甲第二八号証ないし第三一号証及び証人Qの証言に照らして採用できない。)。

このように、本件根抵当権設定契約について原告の取締役会の承認決議がなされなかったのは、Jが大阪府民の企図した大阪府による検査に対する対策に協力するにすぎず、真実本件各不動産に根抵当権を設定するものではないと考えていたためであった。

そして、平成三年一月一一日、原告の定例取締役会が開かれ、当日予定されていた正式の議題が終了した後、Jは、本件根抵当権設定契約に関して、大阪府民の大阪府による検査対策に協力するため、根抵当権設定のための書類を大阪府民に渡したが、あくまで形式的なものにすぎず、検査が終了すれば返還してもらえる旨の説明をした。これに対しては他の取締役から慎重な行動を求める意見もあったが、特段異議が出ることもなかった。

15  Iが右のとおり原告を訪れた際、JはIに対して、形式的に提出する担保であるから登記はしないようIに述べると共に、Fからその旨の念書をもらっておこうと考えて、F宛の手紙を書きIに預けた。

IはこれをFに届けたが、Fは念書を作成しなかった。もっとも、Fは、Iに対し、本件各不動産について本件根抵当権設定契約に基づく根抵当権設定登記手続を行わないでこれを留保しておくよう指示していた。

16  右議事録作成と同時期ころ、JはFの要求により、原告振出しの金額欄、振出日欄とも白地の約束手形三通を担保の趣旨で大阪府民に交付し、大阪府民は右手形に額面合計六六二億円(当時の大阪府民の協和に対する債権額)と記載したが、その後同年四月ころ、右のような手形が存在することが新聞報道されたことから、その直後に大阪府民から原告に返還された。

17  同年三月四日、Iは、原告総務副部長であったKに対して、原告の資格証明及び印鑑証明の期限が三か月を過ぎたので、新しいものを送ってほしいと電話で頼んだところ、Kは、Jに相談することもなく大阪府民あてにこれを送付した。

18  前記のとおり、原告(J)は、第三者割当増資後の協和に対する貸付金の回収原資として、大阪府民(F)が協和に一〇〇億円を融資してくれるよう再三にわたり依頼しており、大阪府民(F)を頼りにしていたので、本件根抵当権設定契約証書、本件各不動産の権利証、原告の実印、印鑑証明書等の返還を求めたりしないまま時日が経過していた。Fも、Jに対して同年四月中には右融資を行うと述べていたが、実際には右融資は行われなかった。

同年五月ころ、原告の有価証券報告書に虚偽報告があったとの新聞報道がされ、仕手集団コスモポリタンの代表Dによる原告の手形乱発事件、ひいてはその手形回収のための大阪府民の融資が、取材の対象となることは必至の状況となった。こういう状況の中でFは本件各不動産について根抵当権設定登記手続を行っておこうと考え、大阪府民の担当者に対し、本件各不動産について本件根抵当権設定契約書を原因証書として根抵当権設定登記手続を行うよう指示した。これを受けて、大阪府民の担当者は、本件各不動産の担保評価額を合計一二〇億円(別紙第一物件目録記載の各不動産が八〇億円、別紙第二物件目録記載の各不動産が四〇億円)と評価し、本件根抵当権設定契約書の極度額欄に一二〇億円と記入した。

同年五月九日及び同月一七日、本件根抵当権設定契約書を原因証書として本件各不動産について極度額一二〇億円の根抵当権設定登記(本件各登記)がされた。

19  Jは、同年五月半ばころには大阪府民(F)が協和に前記一〇〇億円の融資を行う意思がないものと判断し、Fに不信感を抱くようになった。こういう中で、本件各不動産について本件各登記がされたことが判明したので、原告は、同年七月一七日、本件訴訟を提起するに至った。

二  右認定に対し、原告は、Fは東証一部に上場している会社の実権を握ることを希望しており、大阪府民が原告の簿外手形を決済する資金を協和に提供したのは、大阪府民ないしFが原告の経営権を取得するためである旨主張し、証人G、同Jの各証言及び同人らの陳述書や刑事公判調書(甲第二三号証、第四五号証、乙第七号証の一)中にもその旨の供述、記載がある。しかし、Gが経営権を引き継いだ後は原告の役員はGと極めて親しいJやJの友人で占められており、Fの影響下にある人物はいなかったこと、大阪府民ないしFが原告の株式の過半数を取得したことはなく、またこれを取得しようとしたことも認められず、乙第一一号証によれば、平成二年二月二八日現在において協和は原告の株式24.28パーセントを取得して筆頭株主となっており(なお、イトマンが11.86パーセントで続いている。)、大阪府民ないしFは大株主名簿に登場していないこと、大阪府民は原告の簿外手形の処理のための融資として当初予定していた額を目処に協和の融資を平成元年七月で打ち切っており、その後はGが自ら資金の調達を行っていること、平成二年二月に行われた第三者割当増資に大阪府民が関与していないことといった事情からすれば、Fないし大阪府民が原告の経営権を握っていたとか、握ろうとしていたとの前記供述はにわかに採用できないというべきである。

前述のとおり、協和が大阪府民に対して提供した担保はいずれも担保価値が乏しい形式的なものであったが、このような担保で融資を続行したのは、Fにおいて、Gないし協和の手によっていずれ雅叙園観光ホテル(目黒)の敷地の再開発が成功し、巨額の利益が得られた段階で、原告や協和に対する債権もすべて回収することができるとのもくろみがあったからであり、担保が形式的であったからといって、大阪府民の融資が、原告の経営権を握るための出資であったと解することはできない。

また、Fの経営する会社である新千里ビル(代表取締役H)、G及びEが作成名義人とされる覚書(甲第二一号証の二)が存し、右覚書は平成三年四月一日付とされ、今後は新千里ビルが全責任をもって原告の経営に当たり、G及びEはこれに関与しないものとするとの記載があるが、他の条項は、協和やEにおいて行っていたプロジェクトは新千里ビルが今後行うこと、GとEのイトマンに対する債務については新千里ビルがイトマンと交渉すること、原告振出の簿外手形はあと一一五億円あり、そのうち五五億円はEが回収し、残りは新千里ビルが決済するなどと記載されており、内容において大阪府民に不利であり、乙第二五号証、証人Fの証言に照らしても、新千里ビルないしFの意思に基づき作成されたものと認めることはできない。右認定に反する甲第二三号証、第四五号証、乙第七号証の一、証人G及び同Jの各証言は採用できない。

なお、本件各不動産に対する根抵当権設定の経緯に関する判断については後述する。

第三  本件根抵当権設定契約の成立(抗弁)について

前記認定のとおり、平成二年一二月一〇日、当時原告の代表者であったJが本件根抵当権設定契約書の根抵当権設定者欄に記名押印しているが、その時点では極度額欄は空欄であり、平成三年五月に登記が経由される直前ころに大阪府民側によって本件各不動産の担保評価額を一二〇億円と評価した上で一二〇億円と記入されている。

したがって、右極度額の記載が原告の意思に基づくものであるか否かが問題となるが、極度額については、右根抵当権がもともとイトマンの五五〇億円の保証予約念書が返還されたことを機に担保不足を補うために設定することになったこと、平成三年一月九日にIが原告に持参した取締役会議事録のひな形には極度額五五〇億円を設定する件と明記されていたが、これに対してJにおいて何の異議も唱えていないことといった事情と、乙第八号証の一、第二五号証及び証人Fの証言を総合すれば、平成二年一二月一〇日の段階から極度額は五五〇億円の範囲内とすることがF、J、Gの間で了解されていたと解するのが相当であり、右認定に反する甲第二三号証、乙第七号証の三の記載は採用できない。そして、右同日はJにおいて根抵当権設定契約証書に記名押印後、極度額欄を空欄としたまま大阪府民を退出したのであるから、極度額は、五五〇億円の範囲内であれば、大阪府民において適宜決定して記入することが、原告によって承諾されたと解するのが相当であるから、極度額一二〇億円との記載は原告の意思に基づくものである。

したがって、本件根抵当権設定契約は平成二年一二月一〇日に成立したものと解される。

第四  通謀虚偽表示(再抗弁その一)について

一 前述のとおり、大阪府民においては、イトマンの保証予約念書を返還してしまったため、大阪府による検査への対策として担保不足を補う必要が生じたこと、協和において新たな融資を受ける必要があったため、原告としても右検査対策に協力すべき立場にあったことから、本件根抵当権設定契約が締結されるに至ったものであるが、大阪府民もまた原告においても形式的に本件根抵当権設定契約書を作成するだけであると認識していたのであるから、双方とも意思表示の表示上の法律効果を発生させる意思がない点で合意があるというべきであり、本件根抵当権設定契約は虚偽表示により無効と解するべきである。

二  前記認定に対し、被告は、本件根抵当権設定契約は協和及び原告に対する資金援助のために真実担保を設定するために締結されたものである旨主張し、乙第八号証の一、二(Iの刑事公判調書)、第二五号証(Fの陳述書)には、その旨の記載があり、証人Fもその旨供述する。

しかし、大阪府民の協和に対する担保として差し入れられていたイトマンの五五〇億円の保証予約念書が平成二年一一月一四日に返還された後一か月足らずの時期に右保証額と同額を極度額とする根抵当権を設定しようとしたことは、本件根抵当権がイトマンの保証予約念書に代わる性質のものであることを如実に示す事実である。そして、イトマンの保証予約はその法的効力において多大の疑問があるうえ、真に大阪府民がイトマンから協和に対する債務を回収するつもりであったならば、一部上場会社であるイトマンの保証予約は債権担保のために最も重要な契約であったはずであるのに、Gがイトマンを退社するやいかなる理由からかその念書はイトマンに返還されてしまっており、右事実からすればもともと大阪府民においてイトマンから協和に対する債権を回収する意図があったものとも思えず、単に大阪府による検査等に備えるために形式上取得したものであったと推認されるところである。したがって、イトマンの保証予約念書に代わる本件根抵当権にしても五五〇億円という債権額に見合う外形にすることに主眼があったと解されるのである。

さらに、本件各不動産は原告が有するすべての不動産であり、別紙第一物件目録記載の建物は、雅叙園観光ホテル(目黒)の一部として使用され、同第二物件目録記載の建物は三島雅叙園として使用されていたのであるから、実際にこれを実行することになっては、原告及び協和が倒産することは必至であり、そうなっては大阪府民の原告や協和に対する債権の回収も困難になるのであるから、Fはこれを実行することは考えておらず、協和に対する貸金は、あくまでもGないし協和が行う雅叙園観光ホテル(目黒)の敷地の再発開によって得られる利益の中から回収しようと考えていたものと解するのが相当である。確かに、大阪府民がいったん協和に対する融資を中断した平成元年七月ころには、原告の簿外手形が予想より多額に存するうえ、雅叙園観光ホテル(目黒)の敷地の再開発も、建物所有者との間の訴訟も継続していてGが説明していたように容易に進むものではないことが判明してはいたものの(甲第四九号証)、原告及び協和に対する債務を回収するためには、右再開発によって原告が利益を上げる以外の方法は当面考えられず、Fとしてはこれに一縷の望みを託していたものと思われる(大阪府民が協和から担保として取得していたゴルフクラブの会員権等は経済的価値が存しなかったことは前述のとおりである。)。

加えて、前述のとおり、本件根抵当権設定契約が直実担保権を設定するために締結されたものであることを供述する大阪府民の審査部長Iも、Jが平成三年一月九日にIに対して本件根抵当権について絶対に登記はしないでくれと述べたこと及びその旨の確認を求めるJからFに対する手紙を預かったことは認めており(乙第八号証の一、二)、この事実はおおむねJの供述とも一致しているところ(乙第七号証の一、三、証人J)、Jが平成二年一二月一〇日に真実担保権を設定することに同意していたとすれば、JがIに対して登記はしないでくれと述べることはいかにも奇妙というべきであり、右事実からしても原告側が本件根抵当権設定契約は担保提供の形式を整えるためのものと考えていたことが認められる。

さらに、前記認定のとおり、平成三年一月初旬ころ、Jは、Fの依頼により原告振出しの金額欄及び支払期日白地の約束手形三通を大阪府民に交付し、大阪府民において額面を六六二億円と記載したものの、その後右手形は新聞報道がされた同年四月ころ原告に返還されているが、右手形を真実担保として取得したのならば新聞報道がされたからといってこれをやすやすと原告に返還するのも奇妙なことというべきであるから、右手形も形式的に取得された担保というべきであり、本件根抵当権設定契約と同時期に大阪府民が形式的な担保を具備しようとしていたことがうかがえるのである。

その他、本件根抵当権設定契約後もすぐには根抵当権設定登記手続が行われなかったが、これはFの指示に基づく措置であり、本件根抵当権設定契約から四か月経過後に至って、前記認定の状況の中で本件各登記がされるに至ったこと、原告は、第三者割当増資後の協和に対する貸付金回収のため、大阪府民に対し、協和に一〇〇億円を融資することを依頼し、その実施を待っていたため、本件根抵当権設定契約書、権利証、印鑑証明書等の書類を取り戻すことが遅れた等の前記認定の経緯が存するのであり、これらも被告の前記主張に沿う前掲各証拠の証明力を減殺するものというべきである。

第五  よって、原告の通謀虚偽表示の再抗弁は理由があり、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は理由があるからいずれも認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官髙世三郎 裁判官小野憲一 裁判官小野寺真也)

別紙物件目録<省略>

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